昭和天皇
昭和天皇は、明治34年(1901)4月29日、皇太子嘉仁親王(大正天皇)・同妃節子(貞明皇后)の第一男子として誕生され、御祖父明治天皇より、御名を裕仁、御称号を迪宮と賜りました。学習院初等学科第5学年在学中の明治45年7月30日、明治天皇の崩御、御父大正天皇の践祚により皇太子となられました。大正3年(1914)より東宮御学問所にて学ばれた後、大正10年、半年にわたりヨーロッパを訪問され、御帰国後の11月25日、摂政に就任されました。大正13年1月26日には、久邇宮邦彦王の第一女子良子女王(香淳皇后)と結婚されました。
大正15年12月25日、大正天皇の崩御により践祚され、第124代天皇となられました。昭和3年(1928)11月、京都において即位の礼と大嘗祭を行われました。
時代は満州事変、日中戦争、対米英開戦へと日本は戦争への道を進みましたが、長く激しい戦いの末、昭和20年8月14日、昭和天皇はポツダム宣言受諾の聖断を下されました。
戦後、日本国憲法の施行により、天皇は日本国と日本国民統合の象徴と定められました。昭和天皇は沖縄を除く全国を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者の遺族をいたわり、戦後復興にはげむ国民を励まされました。また毎年行われる春の植樹祭、秋の国民体育大会等には、香淳皇后と共にご臨席になりました。
このほか、昭和46年にはヨーロッパ諸国を、昭和50年には米国を、それぞれ香淳皇后と共に訪問され、昭和51年には御在位50年記念式典、61年には御在位60年記念式典が行われました。
晩年は体調を崩され、昭和62年9月、宮内庁病院において手術をうけられ、公務の一部ができるまで快復されました。しかし翌63年9月、再び体調に異常をきたされ、ご療養に努められましたが、昭和64年1月7日午前6時33分、吹上御所において崩御(御歳87)されました。昭和天皇と追号されました。
昭和天皇は、ご幼少の頃より、昆虫や海洋生物に関心を持たれ、大正末期頃より、余暇をみては専門的な海洋生物・植物の分類研究を続けられ、ご著書も多数ご出版になりました。
香淳皇后
香淳皇后は、明治36年(1903)3月6日、久邇宮邦彦王・同妃俔子の第一女子としてご誕生になり、良子と命名されました。大正13年(1924)1月26日、当時の皇太子であった昭和天皇と結婚され、皇太子妃になられました。ついで大正15年12月25日、大正天皇の崩御により昭和天皇が即位され、皇后となられました。戦前から戦後への日本の激動の時代、皇室制度も大きく変わる中、昭和天皇とともに歩まれました。昭和64年1月7日、昭和天皇崩御に伴い皇太后となられましたが、平成12年6月16日、老衰のため吹上大宮御所において崩御(御歳97)され、香淳皇后と追号されました。
香淳皇后は、日本画や書道など多彩な趣味をお持ちで、特に日本画は、高取稚成、川合玉堂、前田青邨から手ほどきを受けられ、画集が刊行され、作品展が催されたこともあります。
昭和天皇・香淳皇后 年譜
- 明治34年(1901)
- 4月29日皇太子嘉仁親王 (大正天皇)の第一男子としてご誕生5月5日裕仁とご命名 ご称号は迪宮
7月7日川村純義伯爵邸に移られる - 明治35年(1902)
- 6月25日弟宮の淳宮雍仁親王(秩父宮)ご誕生
- 明治36年(1903)
- 3月6日久邇宮邦彦王の第一女子良子女王(香淳皇后)ご誕生
- 明治37年(1904)
- 11月9日川村伯爵邸より沼津御用邸へお移りになられる
- 明治38年(1905)
- 1月3日弟宮の光宮宣仁親王(高松宮)ご誕生
4月14日皇孫仮御殿へお移りになられる - 明治41年(1908)
- 4月11日学習院初等科にご通学
- 明治45年(1912)
- 7月30日明治天皇崩御(59 歳)皇太子嘉仁親王践祚 大正と改元皇太子になられる
- 大正2年(1913)
- 3月25日東宮仮御所(旧高輪御殿)にご移転
- 大正3年(1914)
- 4月2日学習院初等科をご卒業
東宮御学問所開設 - 大正4年(1915)
- 12月2日弟宮の澄宮崇仁親王(三笠宮)ご誕生
- 大正5年(1916)
- 11月3日立太子の礼が行われる
- 大正8年(1919)
- 5月7日成年式が行われる
- 大正10年(1921)
- 2月18日東宮御学問所をご修了
3月3日ヨーロッパ諸国ご訪問(~9 月3 日ご帰国)
11月25日大正天皇ご病気のため摂政にご就任
12月6日東宮仮御所(霞ケ関離宮)にご移転
- 大正11年(1922)
- 9月28日良子女王とご結婚成約につき納采の儀
- 大正12年(1923)
- 8月28日赤坂離宮にご移転
9月1日関東大震災
12月27日帝国議会開院式へ向かわれる途中で狙撃される(虎ノ門事件) - 大正13年(1924)
- 1月26日良子女王(20 歳)とご結婚
赤坂離宮を東宮仮御所とする - 大正14年(1925)
- 12月6日第一女子照宮成子内親王ご誕生(昭和18 年盛厚王とご結婚)
- 大正15年(1926)
- 12月25日大正天皇崩御(47 歳)皇太子裕仁親王践祚 昭和と改元
- 昭和2年(1927)
- 6月14日赤坂離宮の水田にてお田植え(お田植えは以後恒例)
9月10日第二皇女子久宮祐子内親王ご誕生(翌年3 月8 日薨去) - 昭和3年(1928)
- 9月14日赤坂離宮から宮城(皇居)に移られる
11月10日即位の礼を京都御所で行われる - 昭和4年(1929)
- 9月30日第三皇女子孝宮和子内親王ご誕生(昭和25 年ご結婚により皇籍離脱)
- 昭和6年(1931)
- 3月7日第四皇女子順宮厚子内親王ご誕生(昭和27 年ご結婚により皇籍離脱)
- 昭和7年(1932)
- 1月8日陸軍始観兵式からお帰りの途中、桜田門外でお馬車列に手投げ弾を投げられる(桜田門事件)
- 昭和8年(1933)
- 12月23日皇太子継宮明仁親王ご誕生
- 昭和10年(1935)
- 11月28日第二皇男子義宮正仁親王(常陸宮)ご誕生
- 昭和11年(1936)
- 2月28日二・二六事件で反乱軍の原隊復帰を命じる奉勅命令を発せられる
- 昭和14年(1939)
- 3月2日第五皇女子清宮貴子内親王ご誕生(昭和35 年ご結婚により皇籍離脱)
- 昭和15年(1940)
- 11月10日紀元二千六百年式典(皇居前広場)にご臨席
- 昭和16年(1941)
- 12月8日米英両国に宣戦の詔書を発せられる
- 昭和20年(1945)
- 3月18日東京下町地区の戦災地をご視察
5月26日空襲により宮殿焼失
8月14日御前会議でポツダム宣言受諾を決定、終戦の詔書を録音される
8月15日正午、終戦の詔書がラジオ放送される(玉音放送)
9月27日マッカーサー連合国軍最高司令官をはじめてご訪問
- 昭和21年(1946)
- 1月1日年頭の詔書(新日本建設の詔書)を発せられる
2月19日神奈川県の戦災復興状況をご視察(地方巡幸のはじまり)
5月24日国民にラジオ放送で食糧危機克服を訴えられる - 昭和22年(1947)
- 5月3日日本国憲法が施行され、日本国および日本国民統合の象徴となられる
10月14日秩父宮家、高松宮家、三笠宮家を除く11宮家51方の皇族が皇籍離脱
10月30日第二回国民体育大会(石川県)開会式にご臨席(以後、23 年を除き恒例) - 昭和23年(1948)
- 1月1日新年一般参賀はじまる
- 昭和25年(1950)
- 4月4日第一回国土緑化大会(山梨県、昭和45 年全国植樹祭と改称)にご臨席(以後、恒例)
- 昭和26年(1951)
- 5月17日貞明皇后崩御(66 歳)
- 昭和27年(1952)
- 5月3日平和条約発効並びに憲法施行五周年記念式典(皇居前広場)にご臨席
11月10日皇太子明仁親王の成年式、立太子の礼を行われる - 昭和28年(1953)
- 1月4日雍仁親王(秩父宮)薨去(50 歳)
11月5日戦後初の園遊会が催される - 昭和29年(1954)
- 8月8日北海道内をご視察(~8 月23 日、戦後の地方巡幸は沖縄を除き終了)
- 昭和34年(1959)
- 4月10日皇太子明仁親王、正田美智子さまとご結婚
- 昭和36年(1961)
- 11月27日吹上御所が完成(12 月8 日御文庫からご移転)
- 昭和38年(1963)
- 8月15日全国戦没者追悼式にご臨席(以後、恒例)
- 昭和39年(1964)
- 10月10日第十八回オリンピック東京大会で名誉総裁として開会を宣言
- 昭和43年(1968)
- 11月14日皇居新宮殿落成式にご臨席
- 昭和45年(1970)
- 3月14日日本万国博覧会(大阪)開会式にご臨席
- 昭和46年(1971)
- 1月27日葉山御用邸焼失(昭和56 年11 月再建)
9月27日ヨーロッパ諸国をご訪問(~10 月14 日ご帰国) - 昭和47年(1972)
- 2月3日冬季オリンピック札幌大会で名誉総裁として開会を宣言
5月15日沖縄復帰記念式典(東京・日本武道館)にご臨席 - 昭和50年(1975)
- 9月30日アメリカ合衆国をご訪問(~10 月14 日ご帰国)
- 昭和51年(1976)
- 11月10日御在位五十年記念式典(東京・日本武道館)にご臨席
- 昭和58年(1983)
- 10月26日国営昭和記念公園(東京・立川市)開園式にご臨席
- 昭和61年(1986)
- 4月29日御在位六十年記念式典(東京・両国国技館)にご臨席
- 昭和62年(1987)
- 2月3日宣仁親王(高松宮)薨去(82 歳)
9月22日宮内庁病院にご入院、手術を受けられる(~10 月7 日ご退院)
12月15日ご公務の一部に復帰される - 昭和63年(1988)
- 9月19日吹上御所で吐血、ご病床につかれる
9月22日国事行為の臨時代行を皇太子に全面委任される
- 昭和64年(1989)
- 1月7日崩御(午前6 時33 分)皇太子明仁親王ご即位
1月8日平成と改元
1月13日追号を、昭和天皇と定められる
2月24日新宿御苑で大喪の礼、新宿御苑及び陵所で斂葬の儀が行われる
陵名を、武蔵野陵と定められる - 平成12年(2000)
- 6月16日良子皇太后崩御(97 歳)(追号・香淳皇后、陵名・武蔵野東陵)